なぜ僕は学校へいけないのか。再考1

なぜ僕は学校へ行けないのか再考1

 

自我の克服と露呈は誰にとっても恥辱の感を至らしめるが、その露呈こそが克服のinitial stageになりうることを意識して、この原稿を書いた。

 

いったいなぜ僕は学校へ行けないのであろうか。ここで「行けない」という言葉を遣ったのは、もちろん「行かない」ことを「選択」するのは現代の日本において正解の一つではあるのだが、そして僕が学校へ行っていないのはそうした「行かない」という選択による部分的理由もあるのだが、僕の場合は精神的に「行けない」部分があると殆ど確信したので、それを書くまでである。なお、この「行けない」理由となる精神構造の内容は、他の諸賢にとってはともかく自分にとっては大変なものと認識しているから、「行けない」理由となっているのである。

 

僕が学校へ行けないのは、まず、弱者と強者の問題と密接に関係しているということができるだろう。思えば、小学校の頃は、社会的には強者であった。より平たく表現するならば、「強者であると思われていた」。代表委員会では委員長を務めていたし、成績もおそらくクラスではトップだった。批判的に考えれば、代表委員会にいるからといってなにかができる訳でもなく、実際の学力面ではおそらく学年で3~5番手で、個人的には思考構造的にバカの部類に属す人だった。通念的に優等生の称号が与えられていただけだし、その称号は純粋に僕のために与えられたものではなく、級友たちが学習面で努力をしないことの言い訳として彼らのために与えられた醜いものなのであるが、稚い僕にはそうしたことが社会の普通であるということがわからず、ただ僕を理解してもらえない、級友ひいては多数派による自己人格の冒涜であるかのように感ぜられた。よって、僕は小学校そして中学校前期においては社会においては全人的に「優等」として接せれらて、自分の悩みに気づいてもらえない恨めしさと、精神的にほとんど大人に達しているかのように感じられた級友の幾人かの「女性」と学力的に僕が尊敬すべき力を持つ少数の同性の同級生の先天的才能に対する羨ましさを抱いて、自分は自分のことを弱者と感じているけど周りは自分のことを強者と感じているという矛盾を潜在的にもしくは普通の感情として嫌ったのである。